佐藤恒二肖像写真

所蔵機関 佐倉市教育委員会 文化課
ID B-PP-05
資料名 佐藤恒二肖像写真
資料名よみ さとうつねじしょうぞうしゃしん
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大分類 写真
中分類 人物・肖像
小分類
作成者
作成者よみ
作成年(西暦)
作成年(和暦)
作成月
作成日
時代 昭和(戦前)、昭和(戦後)
場所(地域・地区)
説明文 佐倉順天堂第4代目院長・佐藤恒二(1878~1952)の肖像写真。恒二は、千葉県判事の太田拡の次男として、長野県小諸で生まれた。千葉第一高等学校医学部(千葉大医学部の前身)で学ぶ。明治 33年( 1900 )、第三代目佐倉順天堂医院長である佐藤舜海の三女と婚姻し、婿養子となる。翌年ドイツへ留学し、博士号を取得。明治44 年( 1911 )に、舜海が亡くなると第四代目院長となる。約 2 千坪の病院敷地内には庭園も整備され、大正 12 年( 1923 )には建物を洋風に改築。また国鉄佐倉駅近くには分院も設けられるなど順調な病院経営に当たっていた。 また、千葉医専臨床研究生の育成に尽力するなど精力的な活動を行 う。共に病院を経営していた長男の郁哉が早逝したため、戦中戦後の混乱期を迎え危機に立たされた佐倉順天堂を長年にわたって支え続けた。昭和 26 年( 1951 )、恒二所蔵の重要蔵書が千葉大学医学部へ移譲され、翌年、心筋梗塞により死去。物外と号し漢詩や書を愛する文化人でもあった 。
備考
寸法縦(cm)
寸法横(cm)
寸法高さ(cm)