堀田正倫肖像写真
所蔵機関 | 佐倉市教育委員会 文化課 |
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ID | B-PP-10 |
資料名 | 堀田正倫肖像写真 |
資料名よみ | ほったまさともしょうぞうしゃしん |
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ライセンス | 各所蔵機関にお問い合わせください |
大分類 | 写真 |
中分類 | 人物・肖像 |
小分類 | |
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時代 | 明治 |
場所(地域・地区) | 佐倉 |
説明文 | 堀田正倫(1851~1911)の晩年の肖像写真。正倫は、嘉永 4 年( 1851 )、堀田正睦の 4男として江戸で生まれる。兄たちが早くに亡くなったため嫡子となった。安政 6 年( 1859 )、正睦の隠居にともない幼くして家督を継ぐ。慶応 4 年( 1868 )の戊辰戦争の折には新政府に敵意のないことを釈明するため、上洛を試みるが捕らえられ京都に軟禁状態にされた。 維新後は藩知事となり、明治 4 年( 1871 )の廃藩置県により、佐倉を離れ東京に移住。明治 17 年( 1884 )に伯爵に叙され、明治 20 年に宮内省より華族の地方移住が認可されると、旧領地の佐倉に戻り農業・教育の振興に尽くすことを決意。明治 23 年、佐倉に邸宅(旧堀田邸)を構える。明治 30 年( 1897 )には堀田家農事試験場を設立する。さらに藩校の流れをくむ佐倉中学校(現・佐倉高等学校)への多額の寄付・支援を行った。佐倉の人々と盛んに交流を深め、明治時代にあっても地域の象徴的存在として親しまれた。明治 44 年( 1911) 、死去。墓所は佐倉市新町の甚大寺。 |
備考 | |
寸法縦(cm) | |
寸法横(cm) | |
寸法高さ(cm) |